二次創作小説「水平線の、その先へ」

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13章 重ねた努力に 裏切られ(10)

 体は疲れてはいるが、神経は妙に高ぶっている。きょうもすぐには眠れそうになく、僕はなんとなく研修室の屋上に上がった。漆黒の夜空に天の川が横たわり、星群れが呼吸するように煌めいていた。

 涼みがてらに星を見上げていると、後ろからきいっと扉を開ける音がした。

 長い黒髪が風に泳いでいた。仮面の下に隠された性格を知っているとはいえ、星影に照らされた横顔は美しかった。

「ソラくん……何か考えているのかな?」

 何を見ているの、と当たり前のことを聞かないのが会長だ。見ているのは星であり、星を見ている人間は何も考えていないか、何かの思いにふけっているのかのどちらかだ。

「人って変わるものだなあ、と思ってました」

「湖景ちゃんのこと?」

「いえ……湖景ちゃんだけでなく、名香野先輩も、朋夏も、花見も」

 宇宙科学会が飛行機を作り始めてほぼ二月。みんな少しずつ成長している。湖景ちゃんは積極的になったし、名香野先輩は人と仕事を共有することができるようになった。朋夏ものんべんだらりとした生活から、体操部時代の活力を取り戻している。花見と一緒に過ごしたのは短い時間だが、最初の印象よりずいぶんくだけた調子になった。

「悠久の宇宙を眺めながら人生の有為転変を知る、か。なんだか哲学的だねー」

 会長は楽しそうな笑顔を見せる。そこにはいつもの小悪魔風の表情は消えていて、ごく普通の高校生の顔があった。

「そんな大層な話じゃないですよ。ただ……」

「自分だけが成長できなくて、焦っているとか」

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 会長には隠し事はできない。いつも本音を見透かされている。この洞察力というか、人間観察力はどうやったら育つのだろうか。

「追い抜かれたらね、抜き返せばいいんだよ」

 会長は、事もなげに言う。会長のように優秀な人なら追い抜くのも簡単かもしれないが、自分にそんな力があるようには思えない。

「それにソラくんだって、ちゃんと成長しているよ」

「そうですか?」

 自分では何が変わったのか、気づかない。

「うん。初めて会った頃に比べると、格段にね」

 会長と初めて会った日。入学して間もない、まだ桜が散りきっていない時期。所属学会が決まらず、学会棟の前の中庭で呆然としていた僕に、近寄って勧誘してきたのが会長だった。

「飛行機作りを始める前までの、やる気のない流されっぱなしの毎日」

「そんな生活を楽しんでさせたのは、あなたじゃないですか?」

「あはは、半分はそうだったかもねー」

 会長はからからと笑った。

「でもそれが今では熱血の力仕事、そしてみんなの心のサポート。ずいぶん変わったじゃない。青春しているっていいよねー」

「会長だって青春していると思いますが」

 会長は誰よりも大人びている。でも僕との年は一つしか違わない。

「そうかな」

 なぜか会長は、肯定しなかった。この微妙な表情はどこかで見たことがある……と思って、気づいた。確か予選会の日、滑空場でこんな顔をしていた。

「私は何も変わっていないよ。私だけ……みんなと一緒に、成長できていない」

 そんなことはない、と言おうとして言葉が出なかった。会長は周囲を暴風雨の中心に巻き込んだが、会長自身は変わらずのマイペースだ。僕の想像を超えたところで思わぬ才能を発揮したりもしているが、そういう有能さ自体は、宇宙科学会に入った時から何も変わっていない。

「気づかないところで、人は変わっていくんじゃないですか。きっと会長も成長しているんだと思います」

「あいまいな言い方だね? やっぱり見た目は何も変わってないってこと?」

 そう言いたいわけではないが、そう言っていることに変わりがないと言われれば反論できない。

「じゃあ、会長も成長しましょうよ。追い抜かれたら抜き返せばいいって、いま自分で言ったじゃないですか」

 会長は、なぜか寂しそうな笑顔を浮かべた。そして僕の顔をじっと見つめていた。

「会長……?」

「ううん、ありがとう。そうだね、これも青春かもね……それよりソラくん、そろそろ休んだほうがいいよ」

「わかりました。会長はどうするんですか」

「私はもう少し星を見ているよー」

 たぶん会長は何か理由があって一人になりたくて、ここに来たのだろう。そういえば会長はみんなといる時間をとても楽しんでいるように見えて、突然姿を消して灯台にいるとか、孤独を愛する人でもあった。

 戻り際に振り向くと、手すりに体をもたせかけながら携帯電話の画面を見つめる会長の後姿が、落ち込んでいるように見えた。でも明日になれば、会長はいつもの会長に戻る。今までもそうだったし、これからもそうなんだ。僕はそう信じていた。

 闇に沈んだ海から、微かな潮騒が響いていた。