二次創作小説「水平線の、その先へ」

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12章 機体に夢を 膨らませ(3)

 湖景ちゃんが整備していた新シミュレータープログラムのプロトタイプが完成したのは、初日の昼食を終えた後だった。分解作業が一段落し、花見が研修センターで新しい機体の設計に取りかかったため、僕は会長や名香野先輩、戻ってきた朋夏と一緒にシミュレーターのテストにつきあうことにした。

 操縦桿とペダル、計器は前回と同じだ。新しい機体も完成していないので、操縦性能も基本的には白鳥の設定を引き継いでいる。以前と違うのは3Dの飛行画像がついた点だ。パイロットの視界すべてを覆うように横長で長方形のシルク液晶スクリーンを、仮想操縦席の回りにぐるりと半円状に置く。設置と固定の作業は、僕が担当した。

「すごいなあ。これ、湖景ちゃんが作ったのか?」

「いえ、あの……市販のシステムをちょっと改良しただけですから」

 スクリーンの端にあるスイッチを入れると自動的に電源が入り、ミニコンから視界情報が送られる。飛行機の位置は内浜の市民滑空場で、地形の立体画像データは教官の地形描画ソフトと大手検索サーバーの地図情報を元に組み込まれている。湖景ちゃんによると、パイロットの視界を完全にスクリーンで覆うと、3D画像でも人間は心理的に実像と同じ感覚を保てるそうだ。

「今回は風の影響もシステムに組み込みました。指定すれば風向き、風速、ランダムに突風を吹かせることも可能です」

「そこまで必要なの?」

「当然です。ジャンボ機だって気流の影響を受けるんです。軽量な機体に対する影響は馬鹿になりません。宮前先輩に、できるだけ実機に近いシミュレーションシステムを早く提供したいんです」

 最近の湖景ちゃんは六月までとは別人のようだ。とにかく元気で、前向きなのだ。

「あ、あの、すみません……余計なことまで言ってしまって」

 そこで照れてしまうのが、湖景ちゃんたる所以なのだが。

「じゃあ、実際に朋夏に使ってもらおう。有効性もわかるはずだよ」

「ちょっと待って。安全確認をするから私が先に乗るよー」

「そうですね、会長。じゃあ……って、朋夏、止めろ!」

 その声に素早く反応した朋夏が、席に座ろうとした会長をラガーマンのようなタックルで抑え込んだ。

「安全確認って何ですか! シミュレーターで安全も危険もないでしょう」

「画面が過激で体調を崩すかもしれないじゃない? 私が先にやるの!」

 オモチャは一番先に遊ばないと負けっていうノリだな。朋夏が足をじたばたさせて抵抗する会長をぽいと放り出して、座席に着いた。

「それでは……操縦法を説明しますね」

 二人の争いに恐れをなした様子の湖景ちゃんの操作説明を、朋夏がふんふんと聞いた。

「ありがとう湖景ちゃん、だいたいわかったと思う」

「私もわかったよー、コカゲちゃん……で?」

「で……って、何ですか?」

「決まっているよー。ミサイルとボムの発射ボタンはどこ?」

 湖景ちゃんの目が、一瞬で真っ白になった。

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「ありません……このシミュレーターは、敵が出てきませんので」

「そうなんだー。残念だけど、今回はあきらめるよー。次は敵とミサイルを準備すべきだと思うよー」

 僕は会長の口をふさいで、シミュレーターから引き離した。

「おおー、この3Dは本格的だねー」

「操縦面でわからないことは、私に相談してください」

 少し疲れた様子の湖景ちゃんの声に、朋夏がうなずく。そしてエンジンキーを回し、慣れた様子で操縦桿を引き、離陸を行った。

「じゃあ、そろそろ右旋回いくね」

 朋夏が右のペダルを踏んで旋回する。スクリーンの3D画像が、ゆっくりと左に傾いて流れていく。

「じゃあ戻して、次は左、と」

「ちょっと待って、トモちゃん。体がずいぶん傾いているよ」

 確かに会長が指摘したように、朋夏が右に旋回する時は右に、左に旋回する時は左に、ずいぶん体が持っていかれるようになっている。

「こうしたほうが回りやすいんだけど……ダメかな」

「ふむ。少し悪い癖がついているようだな」

 シミュレーションを見ていた教官が、朋夏の操縦席の脇に立った。

「この機体はULP並に軽く作っている。だから実機の場合、人間のわずかな体重移動でも機体バランスに悪影響が出る。上体はまっすぐにしたままペダルだけで操作するように習慣づけるんだ」

「なるほど、よっと……わっ……ほい」

 朋夏の体はそれでも傾く。

「朋夏、バイクでハング切るのとはわけが違うんだぞ」

「わかってるんだけど……脳より早く体が動く……」

「宮前、焦るな! 失敗したら死ぬと思え!」

 教官、それって焦りますって。

 朋夏は何回か旋回操作を繰り返したが、上体の動きは止まらなかった。

「最初の飛行ではなかったんだがな……これも慣れによる悪癖か」

 機体は一度も墜落しなかったが、シミュレーターはパイロットの体重移動まで制御していない。

「体操の時の感覚で、たぶん身体が自然にバランスをとってしまうのではないでしょうか」

「恐らくそうだろう。この前の墜落も急な体重移動がかかわっているはずだ。それに効率の悪い操縦法は、通常飛行でも飛距離に悪影響を及ぼす。体の移動がさらに大きくなれば、事故にもつながりかねん」

 朋夏の感覚の問題だけに難題だが、「何とか矯正する必要がある」と教官は腕を組んだ。

 きょうからは夜も作業時間があるから、焦る必要はない。花見と朋夏は夕食の準備、残るメンバーは男女交代で風呂に入った。教官の背中を流すことになるとは、出会った頃には想像もしなかった。風呂から上がってくつろぎながら、きょうの機体作業を教官に報告すると、教官は短いアドバイスをくれる。こうやってじっくり話し合う機会はなかっただけに、なかなか新鮮な経験だった。

「花見は相当にやる気でしたよ。作業の手際もいいですし」

「そうか。花見もあの機体から学ぶべきこともあるだろう。いくらでも学んでくれればいい」

 意外に柔らかい口調で花見のことを評する教官は、面倒見のいい兄貴という感じだった。今でも厳しさは垣間見えるが、こうして素の部分を見ていると、普通の大人という気がする。いろいろと理解しあうには、合宿はいい機会だと思う。

「ところで平山。お前の合宿初日の手ごたえはどうだ」

「気合が入ってます。調子に乗って、燃え尽きないようにしないと」

 自分がここまで熱くなれる人間とは、正直思っていなかった。だが今は、やる気が全身に漲っている。花見も仲間に加わり、新しい機体も用意できた。

「燃え尽きたのなら、また立ち上がればいい。若いお前たちには、それができるのだからな」

 教官は笑っていた。