二次創作小説「水平線の、その先へ」

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17章 夢をみんなで 追う路は(1)

 校庭越しに見える内浜の渚が、夕焼けで茜色に染まる。昼の蒸し暑さを吹き飛ばす涼風が、グラウンドを駆け抜けていった。

 きょうから食事を作る時間を作業に割くため、配達の弁当となった。大会まであと二日、長かった合宿もそれで終わりだ。

 即席の演奏会が終わった後、僕らは明日の最後のテストフライトに向け、急ピッチで機体の仕上げ作業を続けた。朋夏はシミュレーターにかじりついて訓練し、湖景ちゃんは目を皿のようにして、プログラムをチェックしている。

 宇宙科学会は土壇場にきて、大会優勝という目標に向けて団結した。しかし大きな問題がまだ残っている。ピッチシステムの不具合と、パイロットの問題だ。

 システムはプログラムが高度化し過ぎてしまい、もはや湖景ちゃんの能力に賭けるしかない。それでダメなら飛行プランを変更する手は残っているが、優勝は厳しくなる。

 パイロット問題は、さらに深刻だ。花見がパイロットを務めるなら明日の午前中にテストフライトをすませ、さらに機体のバランス調整が必要だ。パイロットの決定は土曜の正午がタイムリミット、と決めた。

 会長を退学の危機から救うには、優勝するしかない。僕たちにできることは機体が飛び立つ最後の瞬間まで、努力を続けることだ。

「ここは、いい」

 翼に体を持たせかけ、花見がほんの少し目を細めて、夕陽にきらめく主翼を眺めやる。そこでは会長と名香野先輩が、これまでのいさかいがウソのように協力しあい、プラスチックシートを張る作業をしている。

「君たちは自分の力で運命を開いて、ここまで来た。伝統に寄りかかった航空部にはなかった空気だ」

「それを言えば花見だって、航空部のパイオニアだったじゃないか。自分の力で技術を身につけて、全国大会で優勝したんだろ?」

 花見の瞳に、少し寂しさが浮かぶ。

「実績があった分、航空部では特別扱いだったからね。整備のほうは、ほとんど触らせてもらえなかった。同期はみんな下働きからしているのにさ」

 一年生から特別扱い。それは上級生の配慮かもしれないが、同級生の間では疎外感を感じたこともあったに違いない。

「わかるわ、それ」

 翼のチェックをしていた名香野先輩が、花見に同調した。先輩もある意味、どこにいても特別な人であり、どこにいても一目置かれ、その分、誰からも距離を置かれてきた人だった。

「みんなとやる雑用って、平等で楽しいわね」

「そうですね。気が楽だし」

「年中雑用をしている僕からすると、お二人の才能がうらやましいのですが」

 軽口に答えたら、花見と名香野先輩は、楽しそうに笑ってくれた。

「航空部にいた時は、そういう周囲の気持ちもわからなかった。自分の立場を当たり前だと思った。それが今になってみると、寂しい。もっとできることがなかったのか、と思う」

「私もそうだったわ。私は委員会では自分から雑用をやったけど、今から思うと、それもかっこつけだったのかも……上村君たちの気持ちなんて、全然わかっていなかったのかもしれない」

 花見も先輩も、宇宙科学会でゆっくりと心の傷を癒している。人は失敗し傷つかないと、成長できないのか。人が愚かなのか、人の宿命なのか。

「Time and tide wait for noone」

 急に外国人のような、流暢な英語が聞こえた。会長が作業の手を休めずに、呟いている。

「時間も潮も、待ってはくれない……後悔するより、前に進め」

 まるで詩吟をするかのような、透明な声だった。

「会長。ご自分のことですか」

 僕は尋ねてみた。

「うん……でも、前に進まなきゃいけないのは、たぶん私だけじゃないと思う」

 そう言って、会長が笑った。会長の笑顔が戻ったのは、うれしいことだ。精神が不安定だったここ数日を思えば、ウソのように落ち着いている。

「ふう」

 大きなため息が、格納庫の隅から漏れる。彼女の目の前のモニターにはプログラム言語が並んでいて、僕にはさっぱり理解できない。

「湖景、少し休憩にしましょう。宮前さんも」

 その声に、朋夏がシミュレーターの座席を降りる。相変わらず、水面飛行の成績は惨憺たるものらしい。ただ以前と違い、機械に八つ当たりすることがなくなった。手を休めた花見に近づいて、「タイミングのことでちょっと教えてほしいんだけど……」と、質問を浴びせている。朋夏も、明らかに変わった。

「湖景の方はどう? 目処はつきそうなのかしら」

 小さな顔が、横に振れた。さすがに疲労の色が濃くなっている。

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「なんとか助ける方法はないかな」

「コカゲちゃん、プログラムのフローチャートを見せてくれない? それで問題点がありそうなところを、みんなで議論したらどうかと思うんだけど」

「あ、はい……わかりました」

 湖景ちゃんがミニコンをぱたぱたとたたいて、チャートを人数分、刷りだす。ただその構造はかなり複雑で、僕にはにわかに理解できない。

 ざっと目を通した会長が、「コカゲちゃん、全体の流れを簡単に説明してくれる? どの部分がどう絡み合っているのか」と、尋ねた。

「わかりました。ええと、操縦系統がこちらで基本的にはいじっていません。ピッチ部分がここ、安全系統がここです」

 湖景ちゃんが説明しながら、名香野先輩と会長が印をつけていく。途中から花見も作業に加わった。僕と朋夏の理解は超越している範囲なので、休息ついでに二人で全員分のお茶と味噌汁を作り、届いた弁当を配った。完全に雑用だが、チームをサポートする仕事であることに変わりはない。だから作業に誇りを感じる。

「湖景、問題がありそうなのは後からつけ足した安全系かしら」

「機械が急に止まらないように二重三重の数値チェックをかけていますから……どこかで異常数値が出ているはずなので、部分的にプログラムを止めながらチェックしているのですが、パターンがつかめません」

「ヒナちゃん、なんとか三人で今晩中に全体をチェックしよう。必ず問題点が見つかるはずだよ。でも今は頭に栄養を補給するのが優先だね」

 そう言って、会長はいったんフローチャートを床に置いた。

 全員で、格納庫で食事を取る。研修センターに戻っても、たいした時間も手間もかからないが、誰もがこの場を離れたくないと思っている。すでに夕陽は水平線の下に沈んだ。あと二回、日が昇ると大会だ。僕たちの中に無言の焦りがある。

 食事が終わるのは、いつも少食の湖景ちゃんが一番だ。湖景ちゃんは、お茶を飲みながら、じっと手元の紙を見つめていた。

「湖景ちゃん?」

「あ、すみません……ちょっとお母さんの手紙を読んでいました」

 湖景ちゃんの手にはお母さんが帰り際に僕に託した、湖景ちゃん宛ての置き手紙があった。

「作業がうまくいかない時、手紙を読むことにしたんです。なんだかとても、気持ちが落ち着きますので」

 湖景ちゃんが見せた手紙に、真っ先に反応したのは朋夏だ。

「あ、見せて見せて……うわー、湖景ちゃんのお母さん、字がうまいねー。すごくきれいに書いているよ」

「ありがとうございます。母は昔、書道とかもやっていたらしくて」

 みんなが思わず、手紙を覗きこむ。湖景ちゃんの笑顔に場の緊張感が解けて、雰囲気が和らいだ。

「……あれ?」

 手紙を見ていた花見が、首を傾げた。

「この手紙の日付……変じゃないか?」

 僕たちは、もう一度、手紙に視線を戻した。花見が、文章の最後の部分を指差している。

「0731025 母より」

 置き手紙の日付は三十一日だ。湖景ちゃんが倒れたのは、ええと……?

「合宿五日目の夜だよ。だから津屋崎さんのお母さんが格納庫に来て手紙を書いたのは八月一日のはずだ」

 花見がきっぱりと言った。

「花見君、鋭いねー。あたしたち夏休みだから、なんか日付の感覚って、なくなってたよね」

 首を傾げたのは、名香野先輩だ。

「でも湖景のお母さんは工場の管理者でしょ? 現場を仕切っていて製品の納期やお金の支払いもあるはずだから、月末や月初を間違える可能性は少ないと思う」

「津屋崎さん、よく見たら時刻も変だね。確かお母さんが来たのは、午前中じゃなかったかな?」

 湖景ちゃんは病院を夜中に抜け出したから、連絡が家に行ったのは朝だ。それでお母さんは、格納庫に駆け付けた。

「それを言うなら時間の書き方も変だよ。これ時間じゃないのかも」

 花見と朋夏の指摘。その時、湖景ちゃんの目が大きく見開かれた。

「お母さん……これ、ひょっとして?」

――老婆心ながら、母からのアドバイスです。同じところに、いつまでもとどまってはいけません。――

 湖景ちゃんが、はっとした。そして急にミニコンをたたき始めた。

 何事かと思い、全員が湖景ちゃんの傍による。シミュレーションプログラムを変換したのか、スクリーン上に無機質な0~9の数字とA~Fのアルファベットが並ぶ。その画面に検索をかけると、猛烈なスクロールを始めた。

「たぶんここだ……00、73、10、25」

 湖景ちゃんが呟いた。そこをプログラム言語に変換し、目を皿のようにして見つめ、そして「あっ」と叫んだ。

「何かわかった、湖景ちゃん?」

「無限ループです……」

「え?」

「新しいプログラムでは機体からのノイズで現れる数値を異常と認識し、正常範囲内の最大値に自動的に置き換えさせる処理をしました……そうすると、ここの計算式の数値がマイナスになって分母はゼロになる。それでプログラムが無限にループして、次の安全システムが異常を感知して回避するまでループを抜け出せないんだ」

「でも、それならプログラムが停止するんじゃないの?」

「飛行中にプログラムを実行停止にするのは危険ですから、実飛行に問題がないノイズにはさらに安全システムを掛けていて、自動的にエラーが解除される仕組みです。だけど復旧中にわずかなタイムラグが生じる……システムの致命的な欠陥じゃないし、安全システムの部分だから気づきませんでした」

「コカゲちゃんのお母さんは、そのバグに気づいたってこと?」

「機械の安全制御システムは、お母さんの得意分野なんです。自動化された工場で、作業員さんたちを巻き込む事故を絶対に起こさないように磨いた技術だから」

 お母さんが湖景ちゃんのプログラムを見たのは、ほんの数分だったと思う。それでプログラムの問題点を見抜き、手紙に暗号まで仕込むとは……

「ねえねえ、そこを直せば解決するわけ?」

 急きこんで尋ねた朋夏に湖景ちゃんは答えず、再びプログラムを十六進法に転換してスクロールを始めた。そしてまた、手が止まった。

「やっぱり、ここもです……バグは全体の一か所に過ぎません。他の部分はノイズがないから、これまで誤作動がなかっただけです。でも万一を考えたら、全部修正すべきでしょうね。既製品の計算ソフトだから、導入した部分を全部抜き出して書き換えればバグを直せる」

「湖景、全部で何か所くらい?」

「この計算ソフトを流用したのは……たぶん十二か所ですね」

「平山君、実機でシミュレーションの準備」

 名香野先輩が、すぐに指示を出した。

「湖景は、すぐにプログラムの改良にかかって。今晩中にバグチェックを終了させて、完成したところからテストをしましょう。古賀さんは湖景の指示で共同でプログラムの改良を、私はデータを取りますから、花見君は機体の調整に回って。宮前さんには、コックピットで計器操作をお願いします」

「了解!」

 僕らは空っぽになった弁当箱をビニール袋の中に突っ込み、決めた部署へと散っていった。