二次創作小説「水平線の、その先へ」

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8章 きらめく星に 見守られ(2)

 7月12日(火) 南西の風 風力2 快晴

 きょうは航空部の練習を見に行く日だ。授業が終わり、朋夏と名香野先輩と三人一緒に、電車に乗り込んだ。

 つり革につかまる名香野先輩の顔色は、今ひとつ冴えず、道中には一言も発しなかった。トルク調整の失敗をずっと気にしているらしい。きょうも出かける直前に、名香野先輩は航空部の視察をパスして一人でモーターの調整をすると言い出したのだが、会長が「ヒナちゃんも、航空部からよく勉強したほうが絶対にいいよー」と言って、強引に背中を押して送り出したのだ。

 通い慣れた内浜駅に着くと、僕たちはいつもの国道沿いの道を歩かず、線路を渡って海側の滑空場へと向かうバスに乗った。市民滑空場を通過してさらに二つほど停留所を過ぎた埋立地で降りると、目の前のフェンスに「内浜学園滑空場」の看板があった。

「改めてうちの学園って金持ちだよねー」

 朋夏が率直な感想を漏らした。

「高校で滑空場まで持つ学校は確かに少ないけど、固定資産税は特例で減額されている上に滑空場の維持管理には市も協力しているから、それほど大きな負担にならないわ。それに滑空場以外に使いようのない土地だし」

 と説明してくれたのは職務上、学園事情に詳しい名香野先輩だ。

「宇宙科学会のみなさんですね。どうぞこちらに」

 と案内してくれたのは、一年生の女子マネージャーらしい。案内に沿って滑空場に足を踏み入れると、市民滑空場よりはずっと狭いが、格納庫と滑走路、プレハブの建物が見える。

 朋夏が時折「あれ、なに?」と聞くが、マネージャーさんは「部長から説明を聞いてください」と、素っ気ない。すれ違った航空部員は型通りにあいさつするが、時折とげとげしい視線を投げかけてくる。僕たちはあまり歓迎されていないようだ。

「ようこそ、宇宙科学会のみなさん。遠路よく来てくれました」

 格納庫の前で笑顔で出迎えてくれたのは、部長の花見だ。一緒に副部長やら整備担当やら会計担当やら幹部を紹介してくれたが、すべて三年生だ。やはり目礼するだけで、一言も言葉を発しない。「スパイに来たって、何も見せないぞ」という顔だ。

「白鳥の調整の方は、順調かい?」

 これには名香野先輩が答えた。

「とりあえずトルクに問題が見つかったので、調整するつもりです。学内予選には間に合うでしょう」

「すぐに気づくとは、さすがですね。それはよかった。じゃあ、さっそく飛行機を見てもらいましょう」

「部長、それはちょっと」

 副部長と呼ばれた男が、口を挟んだ。

「僕は宇宙科学会の紹介でテストフライトまで見せていただきました。だから僕も、どんな飛行機を使うかくらいは見せてあげたいと思います」

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 丁寧だが凛とした口調で言うと、花見は僕たちに目でついてくるように促した。花見の後に僕、名香野先輩と朋夏が続き、その後に押し黙った航空部の幹部がぞろぞろとついていく。彼らはみんな三年生なのだ。花見の態度は毅然としているが、何かとやりにくいに違いない。

 花見はまず、通常の部活動で使う練習機や機材などを一通り見せながら、グライダーについて説明してくれた。こちらが素人であることを踏まえた、わかりやすい説明だった。僕らは花見に飛行機を見せたが、説明らしい説明は一切していない。お客さんをきちんと案内できるのも、部活動としての伝統の差という気がする。

 格納庫は僕たちの倉庫と違って広く、機材や工具もそろっている。MGは三機あり、そのうち一機に四人ほどの部員が忙しそうに作業をしていた。

「あれが僕たちが君たちとの対戦で使う機体です」

「ふーん。なかなかきれいだね」

 機体に近づこうとした朋夏を、またも副部長さんが「それ以上近づかないでください」と制した。文句を言おうとした朋夏から目線をそらし、「作業中で、危ないですので」と、わざとらしく付け足した。

「そういうこと。申し訳ないけど、いろいろ事情もあるから、ここからにしてくれるかな」

 花見の言葉に朋夏が反論しようとしたが、今度は僕が朋夏を小声で制した。

「花見にも立場があるんだ。わかってあげよう」

「でも、それって不公平じゃ……」

「白鳥の中身と試験飛行を見せたのは会長だ。花見から頼んだわけじゃない」

 朋夏は口をとがらせたが、この場は引き下がった。

 機体は僕らと違って胴体の下に主翼がついた低翼タイプだ。いかにもグライダーという感じの優美な曲線をしている。

「きれいに手入れしてあるな」

「うちでは一番古い機体だけどね。練習用に使っていて、耐用年数も切れるから引退時期だったんだけど。今回の大会が花道になる予定だよ」

 だからLMG用の思い切った改造も可能だった、というわけだ。

「うちより機体が一回り大きいね。重いんじゃないかな」

 朋夏が率直な感想を漏らした。無理もない。同じグライダータイプでも、航空部の機体は暦としたモグラだが、宇宙科学会は軽さが自慢のULPだ。部員の一人が主翼のリムと思われる部品を、カンナのような道具で慎重に削りこんでいる。強度を減らした分、軽量化を進めているのだろう。

「しかたないね。うちは既存のモグラを使うしかなかったから。大会にぴったりの白鳥が出てくるような、打ち出の小槌を持っているわけじゃない」

 飛行機の胴体でも、作業を進めているらしい。どうやら金属索を調整しているようだが、ここからでは何をしているかは、よく見えない。

「その分、技術改良は着実に進めている。だから僕たち航空部が負けることはない、改めてそれだけは言っておこう」

 その後花見は、僕らをプレハブ棟の部室に案内し、航空部の活動内容やLMG大会に向けた準備状況などを、一時間ほどかけて話してくれた。幹部の部員は僕たちの後ろに立ったままで、後は一言も口を聞かなかった。

 帰りの内浜駅行きのバスは、停留所で三十分待つ羽目になった。その間に僕は、夕陽に照らされる中でモグラの整備に精を出す航空部員の姿を見ながら、一つの考えをまとめ、そして確信を持った。

「そうか。やっとわかった」

「空太。わかったって、何が?」

「会長が航空部と互角に戦える、と本気で考えていることさ」

 花見の説明によると、LMGの大会は昨年秋に発表され、高校や大学の多くの航空部がこのフロンティアとなる競技会への参画に名乗りを上げた。しかし、年内にお披露目するはずだった肝心のバッテリーとモーターの完成が四月にずれこみ、スペックが実際に参加団体に送られたのは五月だった。それを理由に、参加を躊躇している航空部も多いという。

「どうして、それが宇宙科学会が勝てる理由になるの?」と、朋夏が首を傾げた。

「予算よ。それも古賀さんの計算のうちかもね」

 名香野先輩が即答した。さすが中央執行委員長、活動費が絡んだ問題となると理解が早い。

 スカイスポーツが身近になったとはいえ、航空部は今でも学校部活で有数の金食い虫だ。グライダーの価格は百万円単位、広大な敷地や滑空場の使用料、機体の輸送など遠征費も含む活動費は馬鹿にならない。高校レベルなら、うちのような特殊事情がない限り部活の維持は難しいだろう。だから地方大会は、高校も大学も一緒なのだ。

 どこの学校も、部の年間活動費の大枠は三月までに決まってしまう。グライダー一機の更新も十年単位の学校部活が、モーターの重量やパワースペックさえ不確定な大会に適した機体を事前に決められた予算内で購入することは、まず不可能だ。

 となれば強度がオーバースペックでも既存のモグラを流用するか、一から設計して自作するしかない。しかし基本スペックの不明な機体の設計は不可能に近いし、そもそもLMGが航空工学史に前例のない新技術、整備の時間はいくらあっても足りないはずだから、大会に勝とうと思う部活ほど早めに機体を決めて、後から届くモーターに合わせてチューンアップするのが最適……誰でもそう考える。

 ところが会長は、新型バッテリーの完成の遅れを逆手に取った。航空部が機体の軽量化に格闘しているのを横目に、モーターとバッテリーのスペックが確定するまで待ってから、LMG用の改造に最も適した滑空型の組み立て式ULPを自前で調達して活動を開始した。学校組織に組み込まれた航空部には、できっこない芸当なのだ。

「技量も知識も人数も、うちは航空部に比べたら貧弱だけど。飛行距離を競うだけの学内予選なら、白鳥の軽さは絶対的なアドバンテージと言っていいわね」

 来る時は沈んでいた名香野先輩の声が、自然にはずんでいた。

「そうなんだ……よーし、何か勝てる気がしてきた。空太、あたしたち絶対勝とうね!」

 会長の策士ぶりには、今さらながら舌を巻くしかない。花見に僕らのテストフライトを見せたのも、僕たちに航空部の機体を見せるための布石だった。そうなれば学内予選の迫ったこの時期に僕たちのモチベーションが上がることも、計算ずくだったのに違いない。確かに勝つための最小限の条件、機体と人材がそろっている……。

「あれ、空太。なんかノリが悪いね。まだ考え事?」

 この時、僕は別の考えが不意にひらめき、朋夏の言葉が耳に入らなかった。

 会長の自信の根拠は読めた。ただし、機体の軽量化でいくら優位にあっても、僕たちが素人集団であることに変わりはなく、それだけでは絶対に航空部に勝てないはずだ。

 しかし宇宙科学会には、運動神経抜群でパイロットの朋夏といい、チーフエンジニアでソフト担当の湖景ちゃんといい、機械に強く秀才の名香野先輩といい、モーターとバッテリーの開発者である教官といい、素晴らしい能力を備えた人材が集まっている。

 会長自身の航空機の知識や事務、調整能力もその一つで、仕事の割り振りにしても適材適所の見本と言って過言ではない。上村は「少人数で、よくやる」と評してくれた。

 だからこそ、疑問が浮かぶ。なぜこんな稀有な人材が、五月までぐうたらな活動しかしていなかった宇宙科学会に偶然、集まっているのか?

 滑空場の先で積乱雲が立ち上り、黒い竜のような姿を見せていた。夜にはひと雨、来るのかもしれない。