二次創作小説「水平線の、その先へ」

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2章 はばたく鳥に 憧れて(4)

 

 6月8日(水) 北東の風 風力1 曇り

 珍しかったのは朝、校門の百メートルほど手前で、朋夏に追いついたことだ。朋夏と僕は家が近所で、家を出る時間もそれほど差がないが、朋夏は遅刻の心配がないのに走るようにバス停に行くのが日課なので、いつも朋夏が先に着いていた。それが今日に限って、力が抜けたようにふらふらと歩いている。どうやら、駅からは同じ電車に乗り合わせたらしい。

「どうした。なんか元気ないな」

「半徹よ、半徹。きのうの深夜に湖景ちゃんからまとめたプレゼン資料が送られてきたんだけどさ……それを委員会で発表できるようなプレゼン用のレポートにまとめようとしたんだけど、慣れない作業だから時間かかっちゃって……てへへ」

「徹夜明けで授業受けるのはキツイぞ? 僕も中学時代はやったけど……」

「えーなんとかなるよー……根性、根性」

 寝不足に根性とは、さすが体育会系の女である。

「それで、レポートはどうしたんだ?」

「うん、会長にメールで送っておいた……あ、空太と湖景ちゃんにも送ったから、間違いがないか確認してね。どのみち委員会にかける前に、会長の許可が必要でしょ?」

「確かに、まずは会長の前で、プレゼンが必要だな。朋夏、ここまでやってくれれば十分だよ。僕がなんとかしよう」

 僕が週末に考えていたのは、会長がLMGとやらの大会の参加をゴリ押しして、委員会を通過する可能性だった。しかし、高校生の素人集団がいきなり飛行機を作るという活動は、どう転んでも無理がある。となれば、委員会に諮っても、説得できる可能性は低いだろう。そもそも会長と委員長の押し問答を見た限り、会長が宇宙科学会の存続に、熱意を持っているようには見えない。つまり、宇宙科学会のお取り潰しはもはや動かし難い――僕はそう結論づけて、生き残り策を考えることをやめたのだ。

 宇宙科学会が潰れたら他の会を探す、という基本方針も、上村が看破した通りだった。朋夏のアイデアは、宇宙科学会が存続する、最終チャンスと言える。そこに過大な期待を寄せるつもりはないが、理由はどうあれ、幼馴染みが体育以外で睡眠時間を削ってまで努力した以上、応えてやらねばならないと思う。

 それは、僕を一年間楽しませてくれた宇宙科学会に対する最後の奉公にもなるし、会長が却下したらそれはそれ、少なくとも会長への義理は果たせるはずだ。

 校門に近づくと、大きなコンテナトラックが一台、グラウンドに横付けしていた。運転席から、精悍そうな体格で作業服の男が降りてきた。何事かと思って見ていると、周囲を見回していた男と、僕の目が合ったらしい。

 らしい、というのは、男がサングラスをかけていて、視線が読み取れなかったからだ。まっすぐに近づいてきた男の歩調は整然としていたが、目の前に立ってみると目尻や額に年輪の証があり、すでに中年にさしかかっていることをうかがわせた。

「一つお伺いしますが、学校の倉庫、というのはどちらでしょうか」

 高校生相手に、野太いが丁寧な声だった。ただ、この調子で命令されたら、相当に怖いだろう。

「倉庫? 校庭の、あれかな?」

 朋夏の頭に浮かんだのは、白線引きとかハードルとかトンボとかが収納されている、校庭の運動用具室だろう。しかし、男の用件は少し違うように思えた。こんな大きなコンテナトラックで運び込むものが、あの用具室に入るようには思えない……もちろんコンテナの中身が、すべてこの学校の中に入るとは限らないが。

 その時、僕の左隣を甘い香りと、長い黒髪が通り過ぎた。丸一日行方不明だった、神出鬼没の会長そのひとだった。

「朝からお疲れ様でした。私が古賀沙夜子です。収納先までご同行しますので」

「あ……それは助かります。それでは」

 会長は僕と朋夏に気づいてにっこりと笑みを残すと、驚いたことに大型トラックの助手席を開き、軽やかに乗り込んだ。男もそのまま運転席に戻り、トラックを出発させた。

「会長……一時間目の授業、どうするんだろう」

 朋夏が、眠そうな目をぱちくりさせていた。

 昼休みになってまもなく、見慣れた栗色の小さな頭が、廊下をうろうろする姿が、教室の窓から見えた。

「あれ……湖景ちゃん?」

「あ、平山先輩!」

 湖景ちゃんは声を上げたが、クラス中の視線が集まってしまい、急にどぎまぎし始めた。僕は哀れな後輩の近くで、話を聞いてあげることにした。

「ごめんなさい……先輩の教室に来ようと思ったんですけど……私、音楽室以外で二階に来たことがなくって……」

 消え入りそうな声でうつむく様子が、やっぱりかわいい。 

「いいよ、確かに僕も一年の時は二階や三階に顔を出したことなかったから。初めて行った時は、不安だったよなあ」

 とフォローすると、湖景ちゃんの表情にさっと太陽がさした。

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「そうですよね……私だけじゃない、ですよね!」

 そういった後に再びうつむいてしまったのは、教室から昼食に出たクラスメイトの男子が、「面白い光景を見た」と言わんばかりに、じろじろとこちらを見ていたからだろう。

「とりあえず、ここを外そうか。昼ごはんは?」

「あ、私はお弁当です」

「じゃあ、僕は購買部でパンを買ってくる。中庭の大銀杏の木の下で食べようか」

 湖景ちゃんはうれしそうにうなずき、小鹿のように廊下を駆けていった。

 五分後、僕たちは銀杏の木の下の芝生で、ささやかな昼食を広げた。ここは季節が暖かくなると、女子生徒やサークル仲間がグループで昼食に屯する場でもある。

「流星雨の件?」

「ええ……そういえば、宮前先輩は教室にいませんでしたね」

 用件がプレゼンと気づきながら、肝心な朋夏の存在を忘れていたのは、僕が後輩の突然の訪問に、少し舞い上がったせいだろうか。

「じゃあ、携帯で呼ぼうか」

「いいですよ、資料がメールで届いた時間が、朝の五時三十分になっていましたから……宮前先輩、ほとんど寝てないのではないでしょうか」

 確かに、昼休みに突入したと同時に、保健室あたりで爆睡を決め込んでいる可能性はある。

「宮前先輩のレポートを読みました。よくできていると思います。レポートに合わせて、少し資料の順番を入れ替えて、新しい資料を追加しておきました。レポートとセットで人数分のプリントをしておきましたが、改訂した資料は会長さんも含めて、みなさんにメールしてあります」

 湖景ちゃんは、十枚ほどのプリントを僕に手渡した。確かに会長や委員長に面談して説明するなら、事前に十分に準備しないといけない。

「ええと、まず一枚目の資料なんですが、流星の出現率のグラフがメモのここの部分に対応しています。だから、出現率の説明をした後で、ミニコンを操作して……」

 湖景ちゃんは朝、朋夏のレポートを確認すると、休み時間を使って資料を差し替えただけなく、僕のプレゼンの手順まで考えてきてくれたようだ。これはますますもって、期待に応えないわけにはいかない。胸の中に、ひさびさに失いかけていたやる気の炎が、沸いてきたような気がした。その決意と準備が実現することすらなく、四時間後にはすべて徒労に終わっていたとは、昼休みの時点では想像だにしなかった。