17章 夢をみんなで 追う路は(3)
「無視界飛行、だと?」
僕が最初に相談したのは、教官だ。予想通り眉が上がる。
「航空機の操縦には視界でなく計器のみに頼る飛行もある。だがそれは高度な安全システムと技術を備えたパイロット、的確な管制があって初めて成立するものだ」
「教官。朋夏にこのままパイロットをやらせたとして、明日の本番で操縦に失敗したら、どうなりますか?」
「スピードと高度を考えれば、海面はコンクリートと同じだな」
教官の返事は、素っ気ない。
「挫折を恐れて挑まなければ、何も得ることはできない。そしてどんな挑戦にもリスクはある。それがスポーツであれ、学問であれ、人生であれ、だ。ただ、がむしゃらに挑むばかりなのも愚か者だ。挑戦と無謀は別だ」
「今回のリスクは命がかかっているから無謀だ、と」
「その通りだ」
現実を直視しろ、と聞こえる。
「花見なら……水面飛行は、うまくいくでしょうか」
「花見なら、か。だが、それも確実ではない」
教官は諭すように、静かに語る。
「宮前より成功率は高いだろう。花見には技術と判断力がある。しかし成功するか、と問われれば、未来は不明だというしかない。これまで幾多の名パイロットと呼ばれた人物が、どれだけ空で命を落としてきたことか」
命を落とすという言葉が急に現実感を帯びて、僕の耳奥に響いた。
「いっそ、やめるか? 出場を辞退するのも選択肢の一つだぞ」
それは採りたくない。何のために、ここまで全員でがんばってきたのか。何のために僕や会長、朋夏や名香野姉妹は、困難を乗り越えてきたのか。すべては明日の大会のためだ。
「挑戦とは、挑み続ける行為そのものだ。壁を越えるだけでは挑戦とは言わない。夢を見ること、決意すること、努力すること、危険を承知で踏み出すこと。だが、結果として取り返しのつかない失敗を犯すこともある」
教官の目には今、たぶん昔の後輩が映っている。教官は僕たちに同じ思いをさせないと誓っているはずだ。それはわかる。
しかし教官の話は、簡単にうなずくことはできない。なぜなら……
「教官が僕を飛行機作りをするよう、説得した日を覚えていますか?」
「ああ、忘れない」
今度は、僕の声が大きくなる。
「なぜですか? なぜ今になって危険なことだとか、失敗するとか言い出すのですか? 僕はあの時、それで躊躇していたのに。その背中を押してくれたのは教官でしょう?」
教官は非難の入り混じった僕の眼光を、正面から受け止めた。
「俺がお前の決断を支持するとでも思って、俺に尋ねてきたのか? ならばお前には空に挑戦する資格はない」
静かだが妥協を許さない、厳しさがあった。
「俺がお前を見込んだのは、空を飛びたがっているからではない。空を畏れていたからだ」
教官が瞬き一つせず、僕を見つめる。
「古賀のような飛行機への屈折した感情もなく、宮前のように夢に身を任せるでもない。津屋崎は自分から判断ができなかった。空は麻薬だ。空を軽々しく考えるものは、必ず失敗する。その中でお前だけが、胸に燃える炎を打ち消す術を知っている……いささか行き過ぎた部分はあったがな」
教官が僕を評価したのは、僕が空を畏れたから……
「ならば、なぜ俺が今こんな話をするかも理解できるだろう。自分の心の声に耳を澄ませてみろ。今のお前の迷いの中に不純な動機がないか?」
教官は、僕を厳しい目で見つめた。
「決断の前にもう一度、基本に立ち帰って考えるんだ、平山。空を飛ぶとは何か。夢を追うとは何か。安全を対価に差し出す挑戦と無謀の違いは、何なのか」
教官はそう言うと、僕から離れていった。
改めて、考えてみる。
空は怖い。飛べない人間が翼を持つ。その怖れを捨ててはならない。
朋夏を飛ばしてやりたい。しかしそれは、僕が朋夏の幼馴染みであり、一心不乱に努力してきた姿を、ずっと見てきたからだ。だがその思いは、僕の個人的な動機でもある。まず、そこから抜け出すことが必要ではないか。
では、朋夏を降ろして花見を飛ばせばよいのか。僕たちは優勝をめざしている。それなら花見をパイロットにした方が確率は高い。だが教官は、花見でも「未来は不明だ」と言った。
そもそも優勝をめざすのは、僕たちが会長に内浜学園に残ってほしいからだ。だが冷静に考えれば、パイロットを危険にさらすことと同じ天秤には乗らない。危険に挑戦する以上、非情に、冷徹に判断すべきなのだ。
すると朋夏が無理だから花見に託す、という考え方が間違っているのではないか。空を畏れるなら、それは本当に危険を回避したことにはならない。
「挑戦と無謀は別だ」
教官の言葉が甦る。ここまで来た僕らが夢の翼を太陽の光で溶かさないために、なすべきことは何か。何をすれば、人は失敗のリスクを代償として、追いつけない夢を追う資格を得ることができるのだろう。
不意に、朋夏の屈託のない笑顔が頭に浮かぶ。
「あたしは一人じゃない。空太や会長、名香野先輩や湖景ちゃんや花見君ががんばっているから、あたしは空を飛べるんだ」
コンビニから帰る途中の夜道、満天の星空が僕らを優しく包んでいた。
「……なんだ、簡単なことじゃないか」
僕は、堂々巡りをしていた自分の導き出した答えが、あまりにも単純であることに気づいた。