二次創作小説「水平線の、その先へ」

当ブログは二次創作小説(原作:水平線まで何マイル?)を掲載しています。最初から読みたい方は1章をクリックしてください。

13章 重ねた努力に 裏切られ(1)

 7月29日(金) 北の風 風力3 晴れ 

 空はきょうも青い。日差しはさんさんと降り注ぎ、生きとし生けるもののすべてを祝福しているかのようだ。

「じゃあ、きょうもがんばって二人で作業をしましょう、平山先輩!」

 格納庫で、湖景ちゃんがニコニコしながら言った。

「うん……ところでさ」

「なんですか?」

 湖景ちゃんは、ニコニコしている。

「名香野先輩……起きてこないよね?」

「はい、姉さんは昨日も遅くまで勉強していました。とても尊敬します!」

 湖景ちゃんは、ニコニコしている。

「昨日さ……作業が終わったらベッドに直行って言ってたけど?」

 湖景ちゃんは、ニコニコしている。

「……」

 気づいたら、そのままの顔で固まっていた。

「ごめんなさい……ウソをつくつもりはなかったんです」

 湖景ちゃんががっくりと頭を落とし、肩を震わせ始めた。あまりにわかりやすいが、そこまで極端に感情表現しなくてもいいと思う。

「ひょっとして先輩が朝に弱いって、湖景ちゃんは知りたくなかったかな?」

 この前、湖景ちゃんは名香野先輩を理想の人と言った。そんな人の欠点を見ると、幻滅することもあるかもしれない。

「そんなことはありません。姉さんは私だからこそ、そういった面を見せるのだと思うのです」

 湖景ちゃんはすべてを好意的に受け取っていく。自分のこともそうして受け取っていけば、もっと前向きに生きられると思うのだが。

「だから平山先輩や花見先輩に気づかれないようにと、努力してきたのですが……」

 二日連続で一緒に朝食をとらなければ、誰でも気づくって。

 一時間ほど作業をしたころ、朝食をのどに流し込んできたらしい名香野先輩が合流した。三人で協力して翼を付け直し、ようやく再び飛行機らしい形に戻る。その後は、フライ・バイ・ライトの取り付けと調整の作業に入った。

 僕は先輩の了解をとって、パイロット組の訓練に合流した。力仕事が一段落したことと、姉妹に二人きりの時間を作りたいと思ったからだ。旧校舎を出て海岸を眺めると、四人の人影があった。海にいるのは朋夏、砂浜で走っているのは花見と教官だろう。

f:id:saratogacv-3:20210221094140j:plain

 もう一人は純白のワンピースを着て、波打ち際の砂に座っている。この人はどうして海に来ると、こういう格好をしたがるのか。

 砂浜に降りると、朋夏はイルカ型浮き袋を使ったバランストレーニングの特訓をしていた。海の近くで合宿しているのだから、その訓練環境を使わない手はないという教官の方針だそうだ。

「うわ……ととと、うわっ!」

 派手な水柱が、沖合いで上がった。ふだんはつかまるタイプの浮き輪にまたがって乗るのは、元五輪候補選手をもってしても至難の技のようである。それに海は波の上下運動が大きい。

「これって、旋回時に朋夏が体が傾ける癖を直すための訓練ですよね?」

 おおよそトレーニングとはかけ離れた雰囲気の会長に尋ねた。

「うん。バランス感覚を研ぎ澄ますには、こういうのが一番だよ。大きな飛行機だったら直さなくても大丈夫だけど、超小型機はパイロットのちょっとした体重移動で、機体の挙動が大きく変わるんだよ」

 教官が丸めた雑誌をメガホンにしていた。

「宮前ー。小刻みに体重移動をさせろ。足を使わず、動きの先を読め」

「わかりましたー」

「風は波よりも気ままだぞ。また墜落したくなかったら、一刻も早く体重移動をマスターするんだ」

「了解」

 そう言いながらも、朋夏は海に落ちることを繰り返している。

「さすがの宮前君も時間がかかるかな」

 花見がそんな朋夏の様子を砂浜から見ていた。ランニングを終えたようで、かなり汗をかいている。

「朋夏なら時間はかからないよ。今日中にはできるんじゃないか?」

「そうなのか?」

 僕は知っている。朋夏は体で覚えることなら、誰よりも早い。頭で考え出すと、からっきしダメだが。

「ぷはーっ。これ難しいねー」

 そう言いながら、朋夏はおかしそうに笑っていた。

 小一時間ほどたってから、朋夏がいったん休憩で砂浜に上がってきた。さすがに息が上がっていて、教官がバスタオルを持って朋夏の体をふいた。

「宮前、空の上ではお前一人ですべてを処理しなければならん。アクシデントから命を救うのは、最終的にはお前一人の判断だと覚悟しろ」

「私……一人の……」

 心なしか、朋夏の表情に翳りが差したように見える。

「そうだ。空では孤独であることを自覚しろ。まずは自分で考え、そして自分で決断を下せるようになれ」

「孤独……」

 朋夏は不安そうに、教官の言葉を反芻している。

「一人であることを理解し、孤独を克服する。その領域の先に仲間が待っていると思え。自分の命を預けている翼には仲間の想いがこめられている」

「……つまり一人じゃ、ないんですね?」

「そうだ。お前は一人だが一人ではない。孤独な自分だけの闘いの先に、仲間がいると信じるんだ。そう思えば、必ずお前は強くなる」

「はい……はい!」

 朋夏の顔に、生色が甦る。

「教官……私、がんばります。よろしくお願いします!」

 ぺこりと下げた頭に、かつて勢いよくはねていたポニーテールはない。それこそ朋夏が僕たちの仲間であることの証だった。

 朋夏はその後も海での訓練を続けた。そして昼時には、イルカにまたがった格好で波乗りを楽しむまで上達してしまった。

「宮前君は、やっぱりすごいね。それに、ずっとトレーニングしているのにあんなに元気なんて」

 花見がすっかり感心している。確かに朋夏の十分の一でも元気があれば、人生はきらきらと輝きそうだ。こればかりはうらやましい。

「まあ元気だけなら五輪代表だからな、朋夏は」

「そう言えば、宮前君は十分に才能がありそうなのに、どうして体操をあきらめてしまったんだい?」

 僕には答えられなかった。確かに元気以外でも、十分に素質はあったと思う。なぜ朋夏は体操をやめたのか、僕には思いつく理由は何もなかった。