7章 鎖を断ち切る 闘いは(2)
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朋夏がランニングに出たので、僕が機体を操作することになった。エンジンカバーを外し、給電線をモーターにつなぐ。機体によじのぼり、計器が設置されてさらに窮屈になったコックピットに体をおさめた。
「平山先輩、聞こえますか?」
気がつくと、計器のスピーカーから声が出ていた。その脇に無線機のようなマイクがある。
「手で持ってしゃべればいいのかい?」
「持たなくても結構です。操縦中も会話ができるようにしていますので。まずはモーターを回していただけますか?」
「モーターを回すのはエンジンキーっと……あ、これか」
僕は湖景ちゃんの指示で、次々と計器を操作していった。後で聞くと、湖景ちゃんは試験期間中も、自宅で計器をコントロールするプログラムの改良は続けていたらしい。どうやら飛行機に積んだ状態でも、無事に作動しているようだ。
「結構です、平山先輩。モーターを止めて、飛行機を降りてください。次にテンション用のワイヤを張ります」
湖景ちゃんが、また耳新しい言葉を遣った。
「テンション用って……何?」
「これなんですけど」
湖景ちゃんが、木箱を一つ抱えて持ってきた。金属製のワイヤが入っていて、しかも結構重い。
「機体を張線で固定することで、簡単にゆがまないようにするんです。強度が増すんですよ」
「そういうこと。私が指示を出すから、平山君が張ってくれる?」
どうやら、翼を支えるワイヤは、主翼の真ん中にマストのようについている棒から張るらしい。なんで主翼の上に棒が立っているのか不思議だったが、今になってようやく理解した。当たり前だが、飛行機には無駄な部品など一つもないのだ。
棒の先端の輪にワイヤをかけて翼の先端など数か所と結ぶ。機体や尾翼にも、同じようにワイヤを通す輪っかがあった。やってみてわかったが、これは確かに男手が必要な作業だった。ゆがみなくバランスよく張るには、無闇にワイヤを引っ張ってはだめで、まっすぐに引かねばらならず、これにコツがいる。左右前後のバランスを考えながら張ってみたが、名香野先輩の仕上がりチェックもかなり厳しく、何度も張り直しした。
「姉さんの目で見てわかるバランス感覚って、すごいですね」
「え? このくらいは普通じゃない?」
「いいえ、名香野先輩のしっかりした仕事だと思いますよ」
二人で普通にほめたつもりなのに、先輩の顔に心なしか翳りが差した。
「少し工場で手伝った経験があるから、だけよ」
なぜそこで言葉が小さくなるのかよくわからなかったが、たいした問題ではないらしく、名香野先輩はすぐに持ち前の明るさを取り戻した。
「さあ、あと少しよ。機体の汚れを拭きましょう」
名香野先輩がタオルを持って、作業でついた手あかや金屑などを取り始めた。湖景ちゃんがタオルを持って近づいたので、てっきり手伝いを頼まれるかと思ったら、
「平山先輩はさっきの力仕事で十分です。少し休んで、これで汗を拭いてくださいね」
と、タオルを渡されてしまった。
「でも、まだ……」
「もう十分ですよ。二人でできますから、気にしないでください」
そう言って、湖景ちゃんは機体の方に駆けていった。後輩の女の子から真っ白いタオルを渡されると、ちょっと古典的だが青春している気になった。湖景ちゃんは年上なんだけど。
汗をぬぐって洗面所に行き、戻ってスポーツドリンクを半分ほど飲んだころには、飛行機はぴかぴかになっていた。
「できました?」
湖景ちゃんが、何か呆然とした表情で、呟いた。
「そうね……部品は全部使ったし、やれることもないから完成なんだけど……」
名香野先輩も、複雑な表情をしている。確かに、最初に体育館の周りにばらまいた部品がきれいになくなり、今は空の木箱だけになっている。
「本当にこれでいいのかしら? 何か、あっけない気がするわね」
「そうですね……」
確かに、ここまできた。飛ぶかどうか、本当のところは分からない。しかし今の時点で、やるべきことはすべて終わったはずだ。
「教官さんを、呼んできますね」
湖景ちゃんが、ぱたぱたと外に駆けていった。
教官は、たっぷり十分ほど、飛行機を入念にチェックした。僕たちはまるで試験の発表を待つかのように、飛行機から離れて神妙に立っていた。
やがて教官が飛行機を見終わると、僕らにゆっくりと歩み寄った。
「津屋崎」
「はい」
いきなり重い声で指名された湖景ちゃんの背筋が、ぴんと立った。
「よくやった」
短い言葉だった。しかし、それがチーフエンジニアに対する教官の最大の賛辞であることは間違いがなかった。
「完成……?」
名香野先輩が呟いた。
「完成でしょう、これは。湖景ちゃん、さっそくお祝いをしよう。バンザーイ!」
「え? ば……ばんざぁい……」
「ほら、名香野先輩も一緒に! バンザーイ!」
「わ、私もやるの?……ば、ばんざあい……」
「完成です、名香野先輩、湖景ちゃん! ほら、バンザーイ、バンザーイ!」
こういう楽しそうなことをしていれば、当然あの人が嗅ぎつけて出てくるはずだ。
「バンザーイ、バンザーイ!」
出たな、会長。役所に行ったらしいが、絶妙のタイミングで帰ってくるところが会長だ。一番喜んでいるように見えるのは、絶対に気のせいではない。
「ソラくん、すごいねー。飛行機の形をしているよ。ひょっとして、空も飛べるんじゃない?」
だから空を飛ぶ飛行機を、あなたの命令で作ったんですぜ、ボス。
「あとはこれを無事に飛ばすだけだねー」
そう言いながら、完成したばかりの真っ白な機体に、会長がぺたぺたと手のひらで触れていきながら、満足げにうんうんとうなずく。この人自身は、ほとんど何もしていないのだが。まあ、きょうは細かいことは抜きにしよう。やはり自分が言い出しただけに、実物を見ると愛着が沸いたのに違いない。
「私、新品に手あかをつけるのが好きなのー」
ただちに三人が会長を後ろからかかえ、飛行機から引きずり離した。
「おめでとう! まだ先は長いけど、よくやったと思うよー」
抵抗する会長を引き剥がして息を切らせる三人を横目に、平然と会長はおっしゃった。
「なになに、どうしたの?」
外でトレーニングをしていたらしい朋夏が、声を聞きつけたのか、走って格納庫に駆け込んできた。
「できたぞ、朋夏。お前の飛行機だ」
「すごい! きれいだね……あたし、これに乗るんだね!」
「ようし、全員で万歳だ。バンザーイ!」
今度は、誰も照れなかった。心の底から、思い切りバンザイを叫んだ。