二次創作小説「水平線の、その先へ」

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4章 途切れた絆を 縒り直し (1)

 6月12日(日) 北西の風 風力3 晴れ

 翌朝も、窓から夏のようなまばゆい光が差し込んでいた。母親は、僕が日曜日なのに早く起きてきたことに、驚いたようだ。「ちょっと部活で。きょうも遅くなるから」と言い残し、僕は朝食もそこそこに家を出た。

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 僕と朋夏の住む東葛市は、いわゆる地方の中核市であり、首都圏から内浜市へと続く玄関口でもある。東葛市はご多分に漏れず平成の大合併とかでできた新自治体で、行政区域は地域性や文化を無視している上に、無駄に広い。僕らの自宅は市の中心部から山一つ越えた、合併で飲み込まれた町の方だ。

 海岸部にある内浜学園に通うにはバスと電車を乗り継がねばならず、一時間を少し超える。同じ学区といっても微妙な遠さなので、僕らの地域では進学希望者でも近くにある公立高校の方が断然、人気が高い。そのため、僕たちが入学した年は朋夏以外に同窓生はなく、そのしがらみの少なさが僕がこの学校を選んだ大きな理由でもあった。

 内浜学園進学校だが、朋夏はいわゆる体育推薦組だ。体操部をやめて学校を続けられるのか心配したが、けがによる競技引退や脱落者がいることも学園は織り込み済みで、退部自体は問題にはならないという。ただテストや推薦などでの配慮は一切なくなるから、自力で勉強をしなければいけない。朋夏が苦手な授業をサボらずに受けているのも、高校卒業までは何とかがんばりたいという意欲の表れなのだろう。

 自宅から内浜の旧校舎に向かうには、バスで山越えの別ルートがある。本数は少ないが内浜駅には三十分程度で着くため、こちらが便利だ。旧校舎から帰る時は、朋夏と僕は駅でみんなと分かれバスで帰ることになる。

「あ……平山先輩、きょうは滑空場じゃなかったんですか?」

 ちょうど午前九時に格納庫に着くと、すでに湖景ちゃんがいた。

 湖景ちゃんは自宅と学園は近いが、旧校舎に通うには、僕より少し時間がかかるはずだ。湖景ちゃんが格納庫の鍵を預かっていたので、先に着いて待ちぼうけも覚悟していたが、後輩の方が仕事熱心だった。

「教官が来るなってさ。時間が空いたから、湖景ちゃんの作業を手伝うことにしたよ」

「ありがとうございます。一人で作業だと、やっぱり寂しいですからね」

 きょうの湖景ちゃんはいつもの制服ではなく、緑の作業服を着ていた。しっかりした生地でポケットが多く、まるで工場で着るような服で、高校生の女の子が持っている服には見えない。

「組み立ての作業をすると言ったらお母さんが一着、女性従業員さん用のを貸してくれました」

 こうして作業服とズボンという姿を見ると、童顔だと思っていた湖景ちゃんが妙に大人びて年上に見えるから不思議だ。

「じゃあ始めようか。きょうの作業はどこから?」

「ええと……部品のチェックを、もう少し続けます。そうはいっても航空工学的に問題のあるゆがみとかは、私には完全にはわかりません。翼とか重要部品のチェックは教官さんがやってくれました。私はあくまでも製品仕様を見て、おかしな点がないかを確認するだけです」

「どのくらいかかるかな?」

「きのう八割方は済ませたので、二人で一時間もあれば十分です。きのう会長さんが工具をそろえてくれたので、午前中には作業に入れると思います」

「上等だ。とにかく早く機体作りに入りたいからね」

「はい、平山先輩」

 元気を取り戻した後輩の声が、耳に心地いい。部品を一つ一つ手に取り、二人でチェックを進めていった。

 作業を始めて三十分ほどした時、不意に正面の扉ががらがらと開いた。会長の気が変わって、手伝いにきたのだろうか。

「あの……津屋崎さん、いる?」

 それは、ここ二日間続けて聞いたのと同じ声だった。湖景ちゃんと顔を見合わせた後、僕がいったん作業の手を休めて扉に向かった。

「あ……平山君! どうしてここにいるの?」

 声の主はやっぱり委員長だった。いつもと違ったのは、Tシャツにズボンという軽装の私服だったことだ。

「それはこっちの台詞ですよ。どうして委員長がここにいるんです?」

「いや、その……私は、ちょっと作業を見ようかと……」

 委員長が格納庫に現れた理由は不明だが、僕を見て驚いた理由は察しがついた。

 きのう朋夏と僕が滑空場に行く話をしていたのを、後ろで立ち聞きしていたのだ。午前中は湖景ちゃんしかいないと思って、ここに来たに違いない。きのう何もせずに帰ったのも、きょうなら僕と朋夏がいないと踏んだからだろう。

「津屋崎さんに用なら、そこにいますよ」

「いや、その、用というわけじゃ……」

「おーい、湖景ちゃん。ちょっといいかな?」

 どうやら委員長は、湖景ちゃんに会わないと気が済まないらしい。

「あの……何でしょう?」

「湖景ちゃん、こちらこの前部室に来た執行委員長さん。僕らに解散を命令した……」

「ちょっと! そういう不穏当な紹介はやめてよ!」

 別に事実と違っているわけではないと思うのですが。なぜそんなに怒るのでしょうか。

「ええと……三年の名香野陽向先輩」

「はい……よろしく、です」

 湖景ちゃんはそれだけ言って、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。湖景ちゃんは初対面に弱い。委員長とは厳密には二度目の対面だが、あの時の湖景ちゃんは震え上がっていて会話どころではなかった。

「いえ、その……よろしく」

 委員長は委員長で、なぜか固苦しく頭を下げた。

「あの……何か折り入って話があるなら僕は外しましょうか?」

 内心では、外さない方がいいとも思った。委員長があえて僕らがいない時を見計らい単独で湖景ちゃんに会おうとする理由で、僕が想像できるのは一つしかない。湖景ちゃんの退部を勧めて宇宙科学会の飛行機作りを頓挫させることだ。

 ただ委員長の性格を見る限り、そんな陰険な策略を使いそうでないということもわかってきている。ならば二人でさっさと話を終えてくれた方が、作業がはかどる。

「いえ、その……私は日曜日なのに生徒が危ない作業をすると聞いて、安全なのかどうかをきちんと確認しようと……」

 相変わらずシラを切り通す気らしい。それならそれで、こっちはこっちの仕事を進めるだけだ。

「じゃあ作業に戻りますので、委員長は中で見ていてくださいますか? あ、部品にはくれぐれも触れないようにお願いします」

「……わ、わかったわ」

 委員長は、おとなしく引き下がった。

 それから僕と湖景ちゃんは、残る部品の確認作業を進めていった。一応、委員長の様子も油断なくうかがう。まさかとは思うが、部品を一つでも持ち出されたら取り返しがつかない。だが委員長は、飛行機の部品には興味があるようだったが、手は触れずに僕たちと部品を交互に眺めていた。

 ほどなく確認作業は終わった。いよいよ組み立て作業に入る。

「どこから手をつければいいんでしょうか?」

「そうだね。説明書通りが常套手段なんだけどな」

 ここで二人が止まったのはわけがある。組み立て説明書の最初の工程が、エンジンにかかわる部分の作業なのだ。

 しかし、この機体ではキットに入っているエンジンは積まない。だから他の部分の作業を進めながらバッテリーとモーターの到着を待って最初の工程に戻ることになる。だが、そうなるとエンジン部分の完成を想定している組み立て作業ができない。

 どの作業は前後させても可能なのかが、素人目にわかりにくかった。この問題は作業スケジュールを作った段階で気づいてはいたが、実際に組み立てるとなると失敗が許されないだけに、判断が難しい。

 二人で唸りながら説明書を見ていると、突然首筋に後ろから息がかかった。驚いて振り向くと、委員長が二人の頭の間から説明書をじっと見つめていた。あまりの顔の近さに少しどぎまぎしたが、委員長はまったく僕に関心がないようで、食い入るように図面を見つめている。

「四から六まで、八と十一、それから三に戻りましょう」

 委員長は工程番号の四を指差している。ここから始めろということか。

「エンジン部分を後回しにするなら、一と二の工程は無理よ。七と九、十もエンジン周りの計器や配線に絡むし、バッテリーの位置も決まってないんだったら難しいでしょうね……とりあえず組み立てて支障がない胴体とか車輪とか、できる部分からやっていきましょう」

「すごいです……委員長さん、わかるんですか?」

「飛行機はよくわからないけど。父が工場の技術者でね、機械部品の図面は慣れているから。見た限りだと、作業機械の組み立てよりずっと単純よ」