6章 仲間と試練を 乗り越えて(6)
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7月3日(日) 東南の風 風力1 曇り
翌日、僕らは内浜の市民滑空場にいた。
理由は、朋夏が飛行訓練をするためだ。試験飛行前に今週一回でも飛んでおかないと、飛行許可を取るスケジュールが厳しくなるというのが、会長と教官が下した結論だった。ただし午前中だけ、という条件だ。
部活動は確かに禁止だが、朋夏の飛行訓練は、学校の施設や教員が必要な活動ではないから、個人の活動という理由をつければ問題ないと強弁できる。さすがに名香野先輩が難色を示したが、会長が上手に説得したようだ。
しかしメンバー中で最も勉強が不安な朋夏一人を、僕たちの都合で飛ばせておくわけにもいかない。そこで全員で滑空場に集まり、訓練中は休憩所で勉強して、訓練終了後に朋夏が合流。近くのファミレスで居残り勉強を続ける、という方針が決まった。朋夏に無理をさせる分、会長と名香野先輩が、勉強を全面的に支援するという。
生まれながらの天才である会長は別として、何事も几帳面でスケジュール管理を第一とする名香野先輩が、自分の試験の直前に人の勉強に時間を割くというのは、相当の覚悟に違いない。僕にできることは、なるべく二人の世話にはならず、湖景ちゃんの助力に少し期待して、独力で勉強を進めることだ。
「いやー、疲れた疲れたー」
正午近くになって、訓練と着替えを終えた朋夏が、汗を拭きながら休憩室に戻ってきた。椅子を少し乱暴に引いてどかっと腰を下ろすと、そのまま机に突っ伏してしまった。まるで精も根も尽き果てた、という体だが、これから猛勉強が待っていることを、自覚しているのだろうか。
「ちょっと……宮前さん、大丈夫?」
名香野先輩が、心配そうに声をかけた。
「はい……ほとんど寝てなかったので」
「寝てない? どうして?」
「やっぱ勉強しないとダメだし、でも訓練も大事だし……さすがにプレッシャーがかかってしまいました」
朋夏が顔を上げてにへへへ、と笑った。
「でも、空は気持ちいいです。上に上がったら、何もかも忘れていました。教官には何度かドヤされたけど、飛んでいることがうれしくて」
朋夏のこんな自然な笑顔を見たのも、久しぶりだ。もちろん、朋夏は毎日笑っている。でもきょうは、なぜか心の底から笑顔が湧き出てしょうがない、という顔をしていた。睡眠不足で、脱力しているせいだろうか。
「トモちゃん、勉強熱心なのはいいんだけど、徹夜で勉強するだけじゃ覚えられないよ。寝ている間に、脳の中で勉強の知識が整理されるんだよ」
「古賀さん、それって睡眠学習ってこと?」
「ちょっと違うかもー。頭に入るのは起きている間だけど、その知識っていうのは、部屋にばらばらに散らばった状態なんだよ。寝ている間に脳の細胞が、それを整理して、取り出しやすいようにタンスにしまってくれるわけ」
ふーん。寝ると忘れるって思っていたけど、人の体って不思議なものだ。
近くのファミレスで昼食を食べ、その後でコーヒーを飲みながら教科書を広げた。肝心な朋夏は「一時間だけ!」と言って、席で爆睡してしまった。本当は旧校舎で勉強をやりたいが、学校の規則で利用はできないし、図書館ではみんなで教えあうことができない。営業妨害になるのが心配だが、それほど混んでいないし、大目に見てくれるだろう。
二時過ぎに朋夏を起こし、それから五人で勉強となった。朋夏にはつききりで、会長が指導している。湖景ちゃんは、相変わらず問題集に集中している。すでに教科書を開く勉強は、終わっているということか。おかげで名香野先輩は誰からも邪魔をされず、マイペースで勉強を進められるようだ。その集中力と手際がまた、惚れ惚れするほどいい。
「ん? 平山君、どうしたの? わからないことでもある?」
「いえ……ただ、名香野先輩は普段から勉強をやってそうだなって思って」
「やっているわよ」
当然、と言わんばかりの答えだ。
「特に毎日の授業の復習は欠かさないわ。だって、その日に覚えたものをその日にやり直すって、時間も短く済むし、簡単で効率のいい勉強法じゃない」
毎日の勉強なんて面倒だと思うけど、そういう考え方もあるか。
「試験直前に一から覚え直すなんて、同じことを二度、同じ時間を使ってやっていることなのよ。勉強が嫌いな人は、どうして勉強時間が一番長くなる方法を選ぶのかしら」
「朋夏の場合も、その方がいいんじゃないか?」
授業は出ているんだから、できるはずだ。僕は駄目だが。
「どのみち、あたしは今回は間に合わないけどね」
「そういえば、会長さんはどんな勉強をしているんですか?」
質問したのは、みんなの会話を耳で聞いていたらしい湖景ちゃんだ。だが、それは聞かない方がいいと思う。
「あ、あたしもそれは興味があります!」
「古賀さんの勉強法、確かに聞いてみたいわね」
だからやめとけって。何かあまり突っ込みたくない話だとは、予想できる。
「私?」
会長が顔を上げて、手をぱたぱたと横に振った。
「特に……しないかも!」
僕以外の全員の目が点になった。
「それは……普段予習復習しているから、試験勉強は必要ないってこと?」
ああ名香野先輩。そこ常識論で突っ込まない方がいいですって。
「んー、ちょっと違うかも。まったくしないしー」
「まったく……」
ほら、絶句してしまった。
「会長さんは、授業だけで全部わかるんですか?」
「授業は、あまり聞いてないかなー」
「古賀さん、授業は聞いてないって、平山君じゃあるまいし!」
失礼なことを言われた気もするが、事実なので反論できない。
「教科書を一回読んで寝ちゃえば内容は大体覚えちゃうし、あとはちょっと考えて応用すればいいだけだから。それで十分じゃない?」
凡人には、天才の営みは理解できない。この件に関して、名香野先輩も僕たちの側の人間ってことなのだ。朋夏が黙っていても運動ができて、その理由を説明できないのと似ている。とはいえ秀才タイプの湖景ちゃんや名香野先輩は、僕より理解しがたいに違いない。
「ああ、もちろん習わないことはわからないよー。でもなんとなく授業が耳に入っていれば、それで意外に頭に入っちゃうのかもね」
そうやって仕入れた知識が、テストで自動的かつ完璧に引き出されるわけだ。そのシステム、ぜひ僕も実装したい。
「なら、どうして勉強会に参加しているの?」
名香野先輩が、当然と言えば当然の質問をした。
「それは、みんなと一緒にいるのが面白いからだよー」
会長は、そこでにっこりと笑った。
「うう、なんか自分が凡人みたいで、へこむなー」
「いるんですね、会長さんみたいな人って……」
「不平等だわ……この世界は」
三者三様の女友達の反応は、どれも納得できるものだった。
その後、なぜか黙々と勉強をした宇宙科学会員は、そのまま夕食を食べて散会した。家に帰ってからも勉強は続く。一日にこれだけ勉強したのは、高校受験以来のことだろう。