8章 きらめく星に 見守られ(8)
7月17日(日) 南の風 風力1 晴れ
「フライ・バイ……ラジオ?」
翌日の朝。僕たち全員は作業の前に、格納庫に集まった。そこで名香野先輩から出た提案と発想は、素人の僕たちには驚くべき内容だった。
「操舵のための索や滑車って、結構な重さがあるのよ。前から気にはなっていたんだけど」
名香野先輩はまず僕たちに、飛行機の仕様書を広げて見せた。部品ごとの寸法と一緒に、重量も記されている。
「確かに操縦系を軽くできたら、とは思いますけど。そこまで無理しないといけないんですか」
「航空部が機体にどんな工夫を凝らすかはわからない。ただ向こうは飛行機のことをよく知っているから、部品を削って軽量化したりする技術を持っているけど、私たちにはそれはできない。花見君もいる以上、こちらの飛行機が小さいからといって、それだけで勝てるとは思えないわ」
それは僕も、考えていたことだ。
「モーターの仕様は変更できないし、トルク比の調整はこれ以上は難しい。機体はどちらも既存の飛行機を流用しているから、大きく性能は変えられない。あとハード面で変えるとすれば、航空部も私たちも、軽量化以外にないのよ。この際、油槽タンクも外して機体バランスを回復させたいわ」
「でも姉さん、どうやって? 索の材質を変えるんですか?」
金属索を軽い材料にできればいいが、そもそも索は操縦桿やペダルの力学的な力をそのままラダーなどに伝える道具だ。だからこそ伸縮の負荷に強い金属が材料に使われている。重い部品には、それなりの理由があるのだ。
だが、それを克服するのがフライ・バイ・ラジオだ、と名香野先輩は言い切った。説明を求める僕たちに、名香野先輩は携帯電話を取り出した。
「これよ。これで一切の索をなくしてしまう」
「携帯って……つまり電波制御ですか?」
名香野先輩はうなずいた。
「操縦系の電子化ね。パイロットの操作を電気信号の形で伝え、各部の回路がそれを読みとって、ラダーやエレベーターを動かせるようにするの。機体の中の力学系が簡素化するし、重量も軽くなる。うまくいけば自動操縦システムを組み込んで、パイロットの負担を減らすこともできるわね。一石何鳥にもなるのよ」
「でも先輩、ラダーやエレベーターに付けるモーターはどうなりますか? そちらの電気系だけで結構重くなるんじゃ……」
「平山先輩、それなら何とかなると思います」
そこでフォローしたのは、湖景ちゃんだ。
「昔と違って、エレベーター程度の重さを動かす部品なら小型の力学装置で可能ですし、飛行機は数分しか飛びませんから、電力消費も主モーターに比べればわずかです。電力も一緒に電波で供給しましょう。機体バランスの上では空の油槽タンクを積むより、はるかにましです」
湖景ちゃんが、力を込める。だが、教官が待ったをかけた。
「甘いぞ名香野、津屋崎。そのシステムには長所もあれば短所もある」
教官が指摘したのは、力学系操作の隠れた利点だった。
「パイロットの操作を電子制御にすることは、例えて言うなら団扇を扇風機に替えるようなものだ。スイッチ一つで機械を調整するのは一見魅力的だが、問題は力いっぱい踏んでも軽く踏んでも、結果は同じという点だ。索による力学伝達系には自然の力の反作用がある。例えば操縦桿を急に傾ければ、腕に強い反発力がかかる」
「それって疲れるし、邪魔なだけじゃないですか」
「平山、そうではないぞ。自然の反発力があることで、うかつな急操作による重大事故を防ぐことができる。また人間の微妙な力の調整を伝えるのは、デジタル式の不連続で段階的な信号制御より、アナログで連続した力を伝える力学系の方が優れているのだ」
「そこも考えました」
名香野先輩は静かに言った。
「索を外す代わりに、操縦桿とペダルに油圧式ピストンを接続して反発力を作り、その圧力を数値化しモーターの回転数を制御して動かします。前の操縦桿とは感触が違うと思いますが、そこは慣れではないかと」
「パイロットが慣れる時間があるのか?」
確かに、そこが難しい点だ。システムが完成しても、恐らく学内予選までにテストフライトをする時間がない。
「せめてシミュレーターでもあればいいんだけどな、ううん」
朋夏が腕を組んで考え込む。
「では、こうしませんか。操縦桿とペダルのモデルを別に用意して、シミュレーターを作るんです」
みんなの視線が、湖景ちゃんに集まった。湖景ちゃんは何としても、お姉さんの提案を支援したいに違いない。
「できるの?」
「材料が用意できれば、ですが。電子制御部分は本物と同じですから、シミュレーターのミニコンに移植するだけなので難しくありません。本当に翼を動かす必要はありませんし、問題は操縦桿とペダルですね」
「それなら、私が航空部からジャンクの部品をもらってくるよー。後は油圧ピストンと翼の自動駆動装置、信号の発信・受信機を用意すればいいんだねー」
お気軽に手を上げたのは、会長だ。確かに通信部品と、翼を動かす装置は単純だから、調達はそれほど問題ないだろう。しかし本当にあの航空部から、この時期に材料を提供させることができるのだろうか。この手の対外交渉において、会長ほど心強い味方はないのも事実なのだが。
「教官……挑戦させていただけませんか?」
名香野先輩が、教官に頭を下げた。
「……よし。お前らがそこまで考えているのなら、やってみろ。ただしトラブルが起きてうまくいかなくなれば、俺の判断で元の力学系に戻す。時間がないが、がんばれ」
「了解!」
全員が力強く、うなずいた。
僕たちは、すぐに作業に入った。僕と名香野先輩は、胴体の表面シートをいったんはがして、金属索を外す作業を始めた。滑車を残したのは、万一うまくいかなかった場合の保険で、システムに問題がないことを確認した上で、最後に外すことが決まった。
会長は湖景ちゃんと相談して必要なデバイスと装置、部品をメモし、教官の車で郊外の電器店に買出しに出た。湖景ちゃんは母親と連絡を取って、機械の遠隔電子制御に必要なプログラムを転送してもらい、その修整にとりかかった。これは現代の工業界では必須の技術で、汎用性があり修整しやすい基本プログラムが流通しており、プログラミングを理解していれば修整もマニュアル化している、と湖景ちゃんは笑った。
朋夏は鍛錬をしてくるといって、一人で外に出た。実は意外に大変なのが、チームでありながら大半の時間を孤独に過ごしている朋夏ではないかと、僕は最近思っている。教官が、朋夏の一人でトレーニングする力を高く評価していた理由が、今になってわかる気がするのだ。